時浦です。
(私ばっか連続してすいません。明日から正常化します!)
昨日のブログで紹介した『巨人頭山満』(1967)のあとがきがちょっと興味深いので、紹介します。
頭山満翁の生涯は『無我』の二字によってつらぬかれている。自己一身の利害損得を忘れ、無我の境地に心身をおいて、世界を晩成和親の楽土とする禁度をもてば、世界は住み心地のよいものになろう。日本人は、本当の人類愛を以て、各々、その志を励まし、歓天喜地の世界を実現させるために、この天業達成に邁進しなければならない。ただ、その実現の時期いつであるかは、人智をもって、にわかに測り得ないのであるが、それは問うところではない。翁は、この一念で、九十年の生涯を過されたのである。
翁の下に、中国の国父孫文、インド独立の志士チャンドラ・ボース氏、フィリピンのラウレル大統領、アフガニスタンの志士プラタップ氏など、アジアの志士が、風をのぞんで参じたのも故なしとしない。殊に、隣邦中国の命運には心肝をくだき、清朝打倒の辛亥革命には、あずかって力があった。翁をして今日あらしめたならば、現在の中国を何と観ずるであろうか。
翁は安政二年四月十二日福岡に生れ、昭和十九年十月五日御殿場に死去された。筆をおくに当り、生前の翁を偲び、感慨深いものがある。
筆者は昭和7年(1932)の『巨人頭山満翁』の著者、藤本尚則。
ネットには「朝日新聞社校閲部長 玄洋社社員」とするプロフィールもありますが、石瀧豊美氏の著書の玄洋社社員名簿には記されていません。
昭和7年に書いた本のダイジェスト版が35年後に出版され、そのあとがきを書いているのですが、その35年の間に頭山が死に(今年で没後80年)、日本が敗戦し、ありとあらゆる価値観が変えられ、頭山の存在までがキャンセルされていき、目まぐるしい変化があった中で、頭山を偲んで書いているわけです。
そして、その本が出てからさらに57年経つ今も、世界はあまりにも目まぐるしい変化の渦中にあり、全世界が戦乱の時代に突入しかねない状況にあります。
そんな時代においては、たとえGHQにキャンセルされていなくても、頭山の「無我」の精神など、役にも立たないものと笑われて、忘れられていくしかなかったのでしょうか?
それとも、現代の人間にとってもなお大切な価値として捉え続けることが可能なのでしょうか?
『大東亜論』が完結まで描かれていたらどうなっていたか、見てみたかったところです。